「普通の幸せが欲しいだけなのに」ずっと手に入らない理由とは

自分の人生を生きる
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こんにちは。
リトリーブサイコセラピー、心理セラピストの福満です。

最近は軽くこっちも書いてます。

*therapyroom・行き詰まった人生と心に、自由を。心理セラピスト・福満多岐子【大阪】
【行き詰る心を解決する】心理セラピスト takiko fukumitsuさんのブログです。最近の記事は「人生を、生き方を、、今度こそ変えるために必要な3つの事(画像あり)」です。

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さてさてさて本題。今日のテーマに参りますよ~~~。

・キラキラ成功したい!!とかではなく、等身大の普通の幸せを味わえるのが幸せ。
というお話ありますよね。

その通りだと思います。でもこの言葉が「不幸せのループの呪文」になっている人がいるんです。。。

「普通が幸せ」って、どんな気持ちで言っていますか?

「普通が一番幸せ。」と同じ事を言っていても
●幸せになる人

●幸せにならない人

がいるのをご存じでしょうか。。。

あ、勿論「幸せになる人、幸せな人」でも「不幸な時」や「不幸な出来事」はあるんですよ。
でもね。

「幸せになる人、幸せな人」 が
「普通が一番幸せ」と言うときって、
「今、私は、幸せだ」という意味です。
「普通が一番幸せ」=「だから今幸せ」

「普通で良い。普通が一番。」という時、この人は「私は満たされているよ」という話をしているわけです。

でも、

不幸せと感じてる人の多くはこの
「普通の幸せが一番」という言葉を「不満や恨みの気持」「否定の気持ち」「怒りの気持ち」で言っている事が多いんです。。。 「普通が一番幸せ」=「だから今不幸」

「普通で良い。普通が一番。」という時、この人は「全く満たされていない。普通でさえない。足りない。」という話をしているわけです。



そう、同じ言葉なのに、その人の言いたい事や感覚は全く真逆なんです。

私は「欠けている」という感覚

「私は普通で良いのに」
「欲張っているわけではないのに」
「私はその「普通」のラインにまで達していない」
「普通の幸せさえ手に入らない」


という感覚。

これはなんなら「もっともっとキラキラしたい」「さらに幸せになりたい」というはっきりしたがあるより、
危険な感覚かもしれません。

さらにああなりたい!!という時、人は
・努力
をしたり
・行動
をします。

さらにああなりたい!!という時、人は
「これは自分の意志だ。」「欲求だと自覚しています。

でも、、、
「普通でいいのに」
「それさえない」
という時人は

私だけもらえていない。
私は劣っている。
どうして?どうしたら良いの?


という感覚だと思うのです。

悪い事はしていないのに。
あの人より我慢しているのに。
頑張っているのに。。。


そんな受け身な状態や、何とかしてよという依存心。被害者意識。無力感
そんな感覚があるのではないでしょうか。

まわりが何とかするべきだ。まわりに何とかしてもらうしかない。

この感覚で「 「普通が一番幸せ。」 という時、人は「環境」や「周りの人」または「自分自身」を呪います。
なぜなら、「そもそも普通が手に入っていない」という感覚は、「私は欠けている」という感覚だからです。


それが、自分を責める方向に出ると、自己否定の辛い感覚を感じながら
「お願い何とかして下さい。」「普通の幸せをください。」と【国に】【会社に】【パートナーに】縋る感じになるし

他人を責める方向に行くと怒りと不満を感じながら
「お前が何とかするべきだ。」「普通の幸せくらい、【国が】【会社が】【パートナーが】くれるべきだ!!」と責める感じになるだけで

どっちにしろ、通底しているのは

【私は欠けている】
そして【自分ではどうしようもない】

という、自分自身が持っている感覚です。
自己否定、ですね。

普通を追い求めても普通になれない理由

このお話しは、
「今ある幸せをちゃんと感じようね」という説教ではありません。

【私は欠けている】

その自己否定を持ったままだと、いくら頑張っても
「普通が一番幸せ」=「だから今幸せ」にはなれないよという怖いお話です。


よく【日本にいるだけで普通以上に恵まれているんだよ】という表現がありますよね。
でもそれで、【ああそうか】となって、この 「普通が一番幸せ」=「だから今不幸」から脱出できることはないですよね。
「そんな話してんじゃないんだよね」ってなる人が多いと思います。

だって人って自分のいるグループで比べるものだからです。
そして【私は欠けている】というフィルターのまま比べるので、ずっとずっと「足りない」ものに目が向き続けます。

だからこそ その自己否定を持ったままだと、いくら頑張っても手に入れても
「普通が一番幸せ」=「だから今幸せ」にはなれない んです。


周りの友達が次々と結婚すると、この 【私は欠けている】を持っている人は
・普通の人と普通の結婚がしたいだけなのに、、、贅沢は言ってないのになぜ結婚できないんだろう、、
私ってダメだなんだな。。。
というような感覚に陥りやすいですです。

でも、 【私は欠けている】を持っている人は 結婚したらしたで
貧乏だったら
・普通の生活がしたいだけなのに

となり
子供がいなかったら
・普通に子供が欲しい、、特別な子供じゃなくていい。男の子でも女の子でも、、

と感じるかもしれません。

【私は欠けている】を持ったまま【普通】を追いかけても際限ないんです。


収入が増えてセレブになっても、またセレブ仲間で比べる。
普通にみんなみたいにもっといいマンションに住みたいわ。

子供が出来ても、他の子と比べます。
普通にお利口にして欲しいわ。

どこまで行っても、手に入りません。
だって【私は欠けている】んだもの。


この場合ね。
かつて「普通に結婚したいだけ」と願っていた事は実は叶っているわけなんですよ。そこは満たされたはず。
でも、そんな事はもう、耳に入りません。満たされた感覚ももう感じていない。
そう、かつて
【日本にいるだけで普通以上に恵まれているんだよ】 っていわれても 「そんな話してんじゃないんだよね」って感じたように。

ずっと「欠けている」人生をおくりますか?

「普通の幸せ」が頑張っても手に入らないのは心の奥でこの「自己否定」「欠けている」をベースに生きているからです。

ほんとにわたしは「普通」でいいんだけどな、、

そう思いながらも、この【欠けている】感覚の存在にドキッとしたあなたは、

ずっとこの感覚を本当は持っていませんか?
ずっと欠けている感覚の中で

私だけもらえていない。
私は劣っている。
どうして?どうしたら良いの?


そんな不安や恐怖、焦燥感を抱えて生きてきたのではないでしょうか。




この自己否定の問題は、根深い問題です。
多くは幼少期の環境や親子の関係を発端とし、そして人生の中で積み重ねて強化していきます。

幼少期から、今日まで気づかないうちにこの感覚をベースに、欠けている自分だからこそ、とがんばって、
何とかしようと生きてきた人
も多いと思います。

でも、この感覚をベースに何とかしようと頑張れば頑張るほど「欠けている」自分に追いかけられてしまいます。

これだといくら頑張っても「普通に幸せ」な満たされ感は手に入らない。
疲れ果ててしまいます。

私自身もこの問題を抱えてきた一人です。
だから、、この自己否定の問題って向き合っていくのしんどいの実感もしています。
「欠けている」その自分自身を直視する。。その感覚と向き合う事になるから。

でも。
この問題を解決していく事で、人生は変えていく事が出来ます。


自分はこの問題を解決したい。
自己否定を手放して自分の幸せを感じて生きたい。

そう思ったらぜひ、リトリーブサイコセラピーに触れてください。
今年は私も今まで以上に、がっつり「自己否定」の問題を発信し、サポートしていきますね。

それではまた~。

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