嫌なことを我慢する、、、、
それは、どんなイメージですか?
犠牲
理不尽
苦しい
つらい
イライラする、、、
ネガティブ側はそんなイメージでしょうか。
我慢って嫌なものだと感じますね。
だけど同時に、
大人の対応
ある程度必要なこと
忍耐力
努力
助け合い
ある意味、ポジティブなイメージを持つ人もいるかもしれません。
そうなると我慢しない人は、、、
わがままだ!と、、
そう捉えられるかもしれません。
………………………….
実は、今回のテーマは「我慢」が
良いか悪いかではありません。
納得いかない相手の言い分や、
理不尽なその場の状況、
それを黙って飲み込むことが、
当たり前の人生
自分がガマンすることが当たり前の人生
自分が犠牲になることが当たり前の人生
に、ついて話していきたいと思います。
……………………………
■被害者として生きて行く
「え?そんな人いないんじゃない?」
と、思いますか?
それとも
「私がそうだ、、」
と、思いますか?
そんな感覚が本当にない方はいいんです。
そして、「自分がそうだ」と、気付いている人は、止めたいのだとすれば、解決する術があります。
止めずにこの生き方を続けるなら、、
そこにあるメリットを自分が選んでいると
いう事。
では
1番解決が遠いのは?
自分が、
気付いていない状態です。
当たり前すぎて気付かない。
1番、危ない状態ではないかと思います。
ただ何故だか生きづらい。
それはずっと
■自分をなくして受け入れるいつも我慢をして、、
理不尽な事や嫌な事を飲み込む人は、そうする事で、
そのチームの平和を保ったり、
相手の怒りをかわなかったり、
自分がのけ者にならなかったり、
自分で意見を出して責任を取らなくてよかったり、
さまざまなメリットの方を、
無意識に選んでいます。だけど、
だからといって「嫌だ。理不尽だ」
と、いう感覚は消せません。
そして
「私なんてどうせ」
「わかってもらえない」
「私はいつも理不尽で不幸なポジションだ」
「私はこんなもんだ」
無気力になり、
と、いう感覚は益々強くなります。
自分という輪郭がぼやけていきます。そう、
悪循環です。
犠牲者のパターン2
■嫌な感覚をエネルギーにする
腹のなかに、
なんで私が!!
と、怒りを隠し持ち続けるパターンです。
「こんなにしているのに!」
「あなたの為にしているのに!」
「わかってもらえない!」
「こいつらみんなバカじゃないの!」
「私だけがわかっている!」
「私の我慢のおかげで成り立っている!」
そう、爆発しそうに怒りながらも、
「我慢している自分」に、
価値を見出していくパターンです。
我慢をエネルギー源にして、、
そうなると、
「我慢している自分」を手放せなくもなります。
さらに我慢を重ねながら
自分の中を不満のゴミ箱にしながらも、
周りを見下していく。
そして
「いい加減にしてよーー!」と、
切れてしまうケースも多いです。
いつも周りを見下して、戦っている。
そんな感覚で、、
良好な人間関係が築けますか?
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このように、
嫌なことを飲み込んで生きていく
事を繰り返していると、
自分自身や、
自分の人間関係、
自分の人生を壊していきます。
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■ 安心したいという願い
先程からあげているメリット。
すべては、
「だれかに責められたり見捨てられない」
「安心してそこにいられる」
と、いう事です。
安心感って、
だれでも必要な感覚です。
自分がガマンすることが当たり前の人生
自分が犠牲になることが当たり前の人生
それを選んでいる人は、
その我慢と引き換えにしか、
安心感が得られない
と、いう感覚があるという事です。そんな存在だと自分を感じているという事です。
??
そんなの、おかしくないですか?
…………………………..
■ いつ、理不尽を飲み込む事で安心感を得る方法を選んだのか?
多くの場合には、最初の決断を
幼少期にしています。
理不尽を飲み込まないと
生きていけない状態だったから。
・親に共感性がなかった
・自分の感覚を認められる経験をしていない
・親の機嫌が悪いと当たり散らされた
・良い子でないと見てもらえなかった
・お前なんて価値がないと否定され続けた
・自分の意見をいうと潰されてきた
・嫌だという事が許されななかった
・ネグレクト、虐待
・歯向かうと叩きのめされる状況を見ていた
(両親の罵り合いやDV)
・家族の中に絶対権力があり意見はだれも言えない(家長絶対主義・宗教)
などなど。
幼い子供の頃の環境が
上記のような場合
子供は、
親の機嫌をまもる。
親の笑顔をまもる。
その為には理不尽さを飲み込む事しかない。
だから決意してしまうのです。
どんなに理不尽でも
それは、
どんな親でも大好きな存在なんだ、
という理由がひとつ。
そして、
親の機嫌
親の笑顔
それをまもる事が、
自分の命を守ることに直結しているからです。
そして、この感覚が人との繋がりの
基本となってしまうので、
飲み込まない選択をすると、
大きな恐怖が沸き起こるため、
当たり前のように、
理不尽さを飲み込んで生きることになります。
もちろん、
親だけとの関係ではありません。
親戚、
まわりの大人、
教師、
友人、、、、、。
成長していく過程で、
この決意が変化していく事は可能です。
ですが、
多くの場合は、親と過ごす時間が長いのが子供です。
なので、
その思い込みの中で生きていくので、
飲み込んで、安心を得る成功例や
逆らって責められる失敗例を
積み重ねていきます。
そうやって、成長しながら人生をかけて、、この決意と思い込みを強化してしまうのです。
………………………
■では、どうやって解決するのか。
大切なのは、
今、何が起きているのかを知ることです。
「いつも理不尽な目にあう」
「まわりがバカばっかり」
「わかってもらえない」
とかではなく、
自分で選んでいる事。
そして、
自分がどうしたいかを選ぶこと。
小さな頃は命を守る為に、
飲み込んでいきて来たかもしれない。
でも、今は自分の命は自分で守れる大人です。
それでも、
被害者として生きていくのか。
自分の責任で生きていくのか。
その決意が必要なのです。
そして、ね。
決意や気合い、アファメーション、おまじない、がんばり、、などだけで、
なんとかしようとしないことです。
だってはっきり言って、
こんなバカなことないんですよね。
理不尽を黙って飲み込むことが、
当たり前の存在
自分がガマンすることが当たり前の存在
自分が犠牲になることが当たり前の存在
そんなわけないんです。
頭ではそう思うじゃないですか。
だけど、
今までそうしてきてしまったのは、
体の中に、恐怖の感覚が残っているからです。
それぐらい、怖かった。
それぐらい、お母さんに、お父さんに、笑って欲しかった。
それぐらい、見て欲しかった。
それぐらい、さみしかった。
それぐらい、生きたかった。
そんな、
小さな自分の気持ちに寄り添って、
解放していく事が、
解決への確実な道、そして、近道です。
もう被害者でいるのは嫌だ!
と、感じたなら。
ぜひ、
サポートさせてください。
とことん、お付き合いいたします!