虐待と恋愛ー虐待の中に親の愛情があるのか

人間関係
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こんにちは。大阪のリトリーブサイコセラピー、心理セラピストの福満です。

愛しているから苦しい。
大事にされていない環境でも尽くしてしまう。

理不尽な扱いを苦しいのに受け入れていませんか?
愛という名のもとに、相手から苦しみを与えられている事を誤魔化していませんか。

「あの人も可哀想だから」
「私にしか甘えられないんだ」
それを「愛」という事にしていませんか。

虐待の中にも愛情がある?

以前電車の中でこんな会話を聞きました。
「こどもをちゃんと育てなかったのはあかんけど、捨てなかったのは、、、それだけ想いがあったんやろうなあ。。。」って。おばあちゃんの会話。

その会話は実際はこの事件の話だったのです。

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は?愛?それって「愛」なのかしら。

こういった表現に似たものはよく聞きます。
虐待やネグレクトをしている親に対して、

「虐待していた」その事実に対して、
「でも」で始まるんですよね。
虐待していた。でも
「それくらい嫌なのに」
「食べ物を与えないくらい貧乏なのに」
「捨てなかった」
「捨てる親もいるのに」

「そこにはやっぱり愛があるんやろな」
「捨てないわけやから」
「結果的にはダメやけど」
「そばに置いておきたかったんやな」
「それは愛」
「大事なこどもだからこそ殴ってしまう
つまりもともとは愛

そんな会話がなされる事は、実は割と多いんですよね。

確かに子供をそばに置くことで、、
利用して、自分を満たし、虚栄心や体裁を保ち、夫や妻の心を引き留めたり、夫婦で向き合ったりせずに済み、、
苛々をぶつけて殴ったり叱責する。都合の悪い時は無視をする。

その状態を愛と呼ぶこと。
私は呼びませんが、、。
歪んでいるけど愛だったと。
そばに置くこと、それは愛なのだ、と。

そう主張する人と戦う気はありません。確かにそこに「愛」もあったかもしれません。

ですが。

それを愛だ、と思い込みたい。
それを愛だ、と言い聞かせたい。

その大人の勝手な想いが、ますます子供をがんじがらめにして
苦しめてゆくのだ
、と、いうことは知ってもらいたいと思います。

だって、
そもそも欲しい愛はそれですか?あなたはそんな愛が欲しいでしょうか。
子供が欲しい愛が、虐待なわけがないじゃないですか。

勿論、欲しい愛情を欲しい形で
もらえない事はあります。
愛がすれ違う事はあります。

こんなじゃない!
私の欲しい愛情はこれだ!
あなたのこんな愛し方嫌だ!
でもあなたに愛して欲しい!
と、大人が大人にいうのはワガママな場合もあるでしょう。

でもね。小さな子供が、
すれ違って受け取れなかった愛情を、
欲しい!って思うのは当たり前です。

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ましてや。。虐待や利用。そんなんじゃない愛情を欲しい!!と願うのは当たり前です。

それなのに、「間違いではあるけどそれも愛の一種」
と、客観視できる立場の無関係な大人までもがそう捉えてしまう事はとても危険だと思います。

虐待は虐待です。

安心して、
大好きと言えること。
見ててもらえる安心。
どんな自分でも、
ここにいて大丈夫なんだ、
と、思える空間。

それをこどもが欲しがる事は、当たり前なんです。
それがもらえないのは、悲しいんです。


でも、、

自分がもらえない存在だなんて、信じたくないから。

何ももらえない。
無視されて捨てられる。自分は愛されていない存在なんだ、、と、感じたくなんかない。

虐待でも、利用でも、
自分を見てくれる分まだ良い。

無視され捨てられるより、
まだ、温度を感じる。

だから、

その虐待の中に、愛を見つけようとする。

虐待、
利用。

それでもそばに置いている。

それを、愛だ、と、1番思おうとするのは、
実は当の子供自身なんですよね。

だから、虐待されていても、施設より親元に帰りたがったり、親をかばったり、「自分が悪い子だからだ」と、自分を責めたりしながら、なんとか、親の行動の中に、「愛情」を見つけようとします。

苦しくて嫌なのに、それを「愛情」と思い込んでしまったら。。

そうやって大人になったその子供にとって、愛って、どんなものだと思いますか?

虐待や、利用。
そういうものを「愛」だと思い込もうとして生きてきたんです。
同じような感覚のものを、「愛」と感じるようになります。
それはとても、自然なことですよね。
そして、それはとても悲しいし危険なものです。

頭ではわかっているのに、なぜか自分にひどい事をする人とばかり一緒にいてしまう。。
優しく暖かい、、。そんな本来の意味の「愛情」に違和感を感じて拒否してしまう。
そんな事が起こってしまいます。

本当に欲しいのはどんな愛情ですか?

だから、ちゃんとわけて考えて欲しいんです。
虐待されていた、利用されていた当事者のあなたこそ、わけて考えて欲しい。

虐待されていたとしても、利用されていたとしても、もちろん、愛されてもいたかもしれない。

だけど、だからといって嫌だったことを、許したり受け入れたり、なかったことにしなきゃいけないわけじゃないんです。

「愛されているんだ」という言葉で、自分の欲しかった愛情や感覚をうやむやにして諦めないでいいんです。

自分の怒り、自分の苦しみ、自分の悲しみ、自分の恐怖、
それを「なんだかんだ言っても親は自分を愛してた。仕方ない。」なんて、そんな言葉でごまかさないで。

ごまかすのをやめるのは、苦しいです。
だけど不本意なそれを、無理やり「愛情」と呼ぶのを止めた時、きっと、本当に欲しい形の愛情がわかります。

本当に欲しい愛情。安心感。それを求めていいんです。

…………………….

自分を大事にしてくれない彼氏とばかりつきあってしまう。
自分を大事にしてくれない仲間から離れられない。


そんな人は、この感覚がどこから来るのか?そして、自分はどんな風に人と繋がって生きたいのか?
ここを丁寧に扱っていくといいですよ。

それではまた!

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