こんにちは。
リトリーブサイコセラピー、大阪の心理セラピストの福満です。
秋ですね。。
長袖がね。2枚しかないんですよ。一枚ニット系だし困っております。(買えよ)
今日は「自分は人とは違う。変だ。そしてそんな自分はダメだ。。」という不安について。
悩みの種類やどうなりたいかによって捉え方が変わってきやすいですよね。これ。
もちろん「人って、変だし、変じゃないし、変でも良いし、人と違っても違ってなくてもどんな自分もOK」ってところが目指す着地点ではあるんだけど。
そうなれないから悩んでいるんだよね。。
最近「え、その解決方法はやばいよ!」という解決方法が流布していたのを目にしたのもあって、今回はこのテーマを書いていきます。 ※ほんとにやめて欲しい解決方法です。
・解決と思ったら、強化行動で、結果、めちゃくちゃ苦しい!!!とならないようにして欲しいからです。
人は人と同じでいたい
そもそも、人には「人と同じでいたい」という感覚があります。
でも同時に「人との違いで「自分」を認識する」のも事実で、
「自分は自分でいたい」という感覚もあります。
うん。ある意味相反しているんですよ。
◎自分はみんなと同じ という安心感
◎自分は人とは違う「自分」という個の感覚
どっちも人が生きていくうえで必要な感覚なんです。
問題のない時はこの二つのバランスが取れていて自然と「持っている」時です。
「自分は人とは違う。変だ。そしてそんな自分はダメだ。。」 という感覚があったり、「人と同じかどうか?」が「悩み」に繋がっている時は「不安が大きい」「恐怖がある」時です。
それはまたはどちらもが欠乏、欠落している状態です。
「自分は人とは違う。変だ。そしてそんな自分はダメだ。。」 そんな感覚を実はずっと抱えていたり「不安」が大きかったり、心に引っかかっているとしたら。
あなたは心の奥にとても大きな恐怖と偏った思い込みを握りしめている可能性が高いです。
私はみんなと違うから〇〇なんだ、、
私はみんなと違うから、変だから
・攻撃される、意地悪される
・仲間外れにされる
・見捨てられる
・一人ぼっちになる
・誰も助けてくれない
そんな感覚があるとしたらその底には
・孤独の恐怖
・存在を否定される恐怖
が必ずあります。
そしてその孤独の理由を「私が変だから、、人と違うから、、」と結びつけているんです。
これ自己否定ですね。
これだと「変な自分、人と違う自分」を隠したり押し殺してしまいますよね。
だってそれは孤独の原因だと思っているから。
これは苦しいんですよ。だって自分の感覚を殺すことだから。
両方必要な感覚なのに「自分という個の感覚」を消そうとしているって事です。
そうしないともう一つの「みんなと同じ」が消えて、しかも孤独になってしまう恐怖があるわけです。
この悩みは本当に多いし苦しい。
この時安心したくて飛びついてしまうのが最近出回っている「偽物の安心」という毒薬です。
私が変なのは〇〇だからだ。私は特別なんだ。という毒薬
間違った「自己肯定」
間違った「安心」
偽物の安心という毒薬。
それは例えばこういったものです。
◆私は、特別な病気だから
◆私は、特別に神様と繋がっている存在だから
◆私は次のステージに行っているから
◆私は才能があるから
◆私は特別に繊細だから
だから私は人と違うんだ
だから私は自分の事変だと思っているんだ
だから孤独だったんだ
こんな私を周りが理解出来ないんだ!!
あーーーーーー、理由がわかって安心💛???????
、、ええ??これって安心?なんか変じゃないですか??
これだと結局「私は変で私は孤独」っていう問題は解決してないんですよ。
それどころか
「理由があるから、私は変なのだ。だから孤独なのだ」って、、「私は変で孤独」を強化してしまいます。
本当に怖い孤独の問題は全然軽くなってない、、
変な自分に理由をくっつけただけです。
だから一瞬ホッとしたとしても
・孤独の恐怖
・存在を否定される恐怖 の根本は変わりません。
孤独が怖くて嫌。そりゃみんなそうですよね。
そんなん理由があっても怖くなくなったりしないですよね。
そしたらどうなると思いますか?
今まで孤独になるのは自分が変だからと、自分を責めていた人は今度は他人を責め始めます。
「私が変なのは理由があるんだー。認めろ――。ありのままの個性ある特別な私を認めろ!!!」
そんな風に、相手に求めていきます。
最近多いですよね。こんな特別な私をわかって欲しい、社会はわかるべきだ、、。優しい社会を!!、、ってそれ「私にやさしい社会を!」やんっていう。。
これ、ぶつけられた相手はどんな感覚になりますか?
最初は「可哀想ね」なんて思うかもしれないけど、、
「特別な私を認めろ!」「認めるべきだ!」って怒りのエネルギーをぶつけられるのなんて、しんどいし嫌ですよね。私は嫌です。
これ、だんだん人は離れていきますよ。
偽物の安心という毒薬にとびついてしまった人は「特別である孤独な自分」を相手のせいにしながら拗らせていってしまうんです。
解決どころか悪化して強化してややこしくなってるんですよ。
結局ますます孤独になっていくんだもん。
本当の問題解決って何?
「自分は人と違うし、違う自分はダメだ」という感覚を抱える人には幼少期にこのような経験をしている人がとても多いんです。
・家族の中で自分が仲間外れだった
・「家族」が、親戚の中や、町内で仲間外れにされていた
・いつも「お前が悪い」「お前はおかしい」と否定されていた
・親の機嫌で、理不尽な暴力や叱責を受けていた
・親からのネグレクトや虐待、無視されていた
・気持に共感してもらう事がなかった
そのような環境のままずっと過ごしていく中で子供は
・自分が変だから家族は自分にきつくあたるんだ
・自分がおかしいから親は自分を虐待するし無視するんだ
そう思い込んでいきます。
子供にとっては「理由もなく自分が愛されていない」なんてわけわかんないんだもん。
「なにしたって愛されない」なんて辛すぎるんだもん。
だから
「愛されていないのは
「こんな目に合うのは
「自分が変だからだ。悪いからだ。
そうやって自分のせいにして自己否定して「自分さえちゃんとしたら親は自分を見てくれるかも」「愛してくれるかも」って期待をつなぎ留めるんです。
孤独の理由を自分につける事で、一縷の望みをつないで、「愛されていない」を目の当たりにしないようにして自分の心を守っているんです。
孤独に理由をつけて納得するって。。。
そう、「偽物の安心という毒薬」と同じパターンです。
大人になってこれをしてしまうと幼少期の同じ繰り返し焼き直しですよね。強化行動でしかないですよ。
ますます酷くなるのは当たり前なんです。
孤独な自分を自分のせいにして納得する人生は孤独です。
それ、あなたの本当の望みかな。
違っても違わなくてもそのままの自分でいい
そもそも、ネグレクトも虐待も。「あなたが変」とか「あなたが人と違う」なんて全然!!!
関係ないんですよ。親が子供の気持と向き合えないのもあなたのせいではありません。
だから、自分のせいにして納得しなくて良いんです。
だって納得なんて出来ないもん。
いくら理由をつけても、本当は心の中で
悲しいし、怒っているし、寂しくてたまらない気持ちがいっぱいあると思う。
この、押し殺して、プレスして心の奥に閉じ込めてしまった感情。あなたの本当の気持ち。恐怖。
これが、大人の今、自分の人間関係や、世間に投影して「自分は人とは違う。変だ。そしてそんな自分はダメだ。。」という問題を作り続けてしまうんです。
「変だし、変じゃないし、変で良いし、違っても違ってなくてもどんな自分もOK」なんですよね、本当は。
どっちにしても嫌われるときは嫌われるし、愛されるときは愛されます。
それ、頭ではわかっていても、、自己否定が止まらないし、不安で自分を出せない、、、。
これは本当に多くの人がこっそり抱えている悩みです。
この悩みを、この苦しさを終わりにして、
どんな自分にもマルをつけて、自分の人生を大事に生きたいと思ったら、、、。
小さな頃に押し殺した「本当の気持ち」を扱って向き合って、、癒していく事をおすすめします。
それではまたーーね。
★根本解決!リトリーブサイコセラピー個人メニューの詳細はこちら↓
★福満のメルマガはこちらから。お得な特典もございます★
★まずは電話で相談したい!という方はこちらをご検討ください。