こんにちは。
大阪のリトリーブサイコセラピー、心理セラピストの福満です。
「親ガチャ」と「自己責任論」と「親のせいだ論」と「就職氷河世代(ロストジェネレーション)問題」について。
お話ししていきますね。
「親ガチャ」「毒親」人のせいにするな!に傷つき憤るけど
もともとネット上ではずいぶん前からあった言葉なんですよね。「親ガチャ」
毒親育ちの人が「選べない親で人生決まっちゃってんじゃん」と発言していたり、「貧富の差」を言っている人も、色々でした。
最初はその運任せな感じや自分ではどうにもできない事を「親ガチャとはうまいこと言ったな」的なノリだった気がします。
私はそもそも、好きな言葉ではないんです。
「そんなの親不孝だ!」とかそういう事ではなく。
敢えて軽く言う感じが好みでないだけ。。
で、こういう話題になると
「いつまでも親のせいにするな!自己責任だ!」VS「この苦しみがわかるのか!こっちは可哀想な被害者なのに!」論争が始まります。。今回話題になったのもそれがきっかけでしたね。「親不孝だ」という、、
「こうやって毒親育ちは無知な人に自己責任とか言われて余計に傷つくんだ!普通親育ちにはわからないくせに!二次被害だ!」みたいな話も出たりして。
ある意味「毒親育ち側」の言い分もよくわかります。
何も知らない人に全部お前が悪いみたいに批判されたと感じればムカつきますよね。
だけどその反面
「そうだよね、そうだよね。親のせいだよね。可哀想だよね。行政とかが何とかするべきだし、社会はもっと寄り添うべきだよね!!!親のせいだからあなたは上手くいかないのも生き辛いのも当たり前だしそれって本当の解決はとても難しいよね。なかなか幸せになれないよね。わかるーーー。」といわれてもなんだかな、、、ではないですか??
そう。
なかなか幸せになれない。
解決しない。
可哀想。
そんな風に定義付けられて
その「可哀想な部分」にだけ寄り添ってもらっても一向に人生は好転しませんのですよ。
責められるよりましなだけ。
気持を無視して批判されるよりも、少しでも寄り添ってもらっているからマシなだけです。
これとよく似た構図だなっていつも思うのが。
就職氷河期。ロストジェネレーションの話です。
これもね。
「時代のせいにするな!」「努力が足りん!」って言われると、
「わかんないでしょ、他の時代の人には。」
「バブル世代に言われたくない。」
「あなたたちが搾取してるんだろうが」
ってムカつくわけです。
でもさ。
「しょうがないよね。損な世代だったよね。可哀想だよね。」と寄り添われても、、
なんだかな、、ではないですか?
私は可哀想だ、という不毛なプライドとラベル
ロストジェネレーションってだいたい1970年生まれ~1985年生まれ。 1993年から2005年まで位に就職活動をした世代の事をさします。
私もまさにその初期という事になります。
まだ「大人」や「社会」が「氷河期」に対して受け止められていない。氷河期とかフリーターって言葉が生まれたての頃です。。
そんな時代、覚えているのは私の前の年とかは採用が少ないのではなくて、ない。
「今年は採りません」って大手企業がいくつもあって話題になっていた。
そして、今では信じられないけど「ネットで探す」ってこと自体がメジャーではない時代。
バイトとかもそれ用の雑誌みたいなのを買ってさがしてた。「an]とかね。イヤー時代感。年取ったなあ。。
氷河期世代の中でも色んな種類の氷河状態がありましたが私はそんな時代に社会に出ました。
同じ氷河期の中でも「俺の時代の方がさらに大変だ」っていう人もいますし、バブル入社組でも「その頃の方が実は大変だったんだぜ」という人もいます。
はい。
「私の世代は大変だーーーー」って言い続けるのも、、、別にありなんですよ。
社会が悪い
他の世代にはわからないだろう
私たちは損している
搾取されている
そうやって、ずっと不満を抱きながら社会を恨みながらあきらめながら生きていくならそれも自由です。
だってその人の中ではそれだけが「事実」だから。
この気持ちは他の世代にはわからない。
私たちは損だ。
その中でこんなに頑張ってる。
そんな妙なレッテル貼りとプライドを持ちながら。。
私も25歳くらいの頃は「氷河期問題」に対してそんな感覚が半分ありました。
だってしょうがないじゃん。って。
その中でそれなりにがんばってんじゃん。
これ以上どうしろっていうの?って。
「でも」自分の人生をどうしたいか?
まあ、でも好きな仕事をしていたし、上司や同僚ともなんやかんや仲良くて、お仕事頑張っていたと思います。
この頃にとってもお世話になった、新入社員の頃からの上司がいたんですよね。
まあ、気は短いけど良い上司でした。愚痴を言ったり反論をしたりも結構ありましたが「そうかそうか」って聞いてくれましたね。。
娘みたいな感覚だったんでしょうかね。
でもある日、私と同期の女の子と、その上司とで飲みに行ってる時にね、
多分いつものように愚痴っていたんだと思います。
そしたらですね。。
「お前らはどうしたいんや!!!」からはじまって。。
はい。説教されたんですよ。
私たちのグダグダっぷり、、いや私のグダグダっぷりに熱くなったんでしょうね。
「お前らはものすごい損な状態で入社してきている。
「俺らの時とは違う。
「俺らは、ただがんばればそもそも社会が右肩上がりやったしある程度頑張れば男は給料上がる時代やった。
「お前らは確かにこの会社で損なポジションやと思う。
「でも
「じゃあ、辞めるのか?
「ここで、何クソとのし上がるのか?
「それともその他にどうしたいのか?
「自分で考えないと、ずっと文句言いながら、でも頑張って、、まあ仕方ないかって、それじゃ搾取されっぱなしや。ずっと不満なまま終わってしまう。
「自分でどこかで、えいや!と頑張らんとどうしようもないぞ!
「どうしたいねん!
は??おっさんが何偉そうに酔っぱらっていってるん?
・・・・とは思いませんでした。
だって、本気で言ってるのがわかったから。
そして、本当にその通りだと思ったから。
この時の事ははっきり覚えています。
そんな世代だわ~と言いながら、酒飲んでても変わんないですよね。自分の人生は。
社会が悪い、だから社会を変えよう!!と何らかの動きをするならまだわかる。
ただ社会のせいにしても仕方ないんですよ。
自分はどうしたいのか?
損なポジションで頑張ってるーーーという風情を取りながら、、
実は私が逃げている事、、、、。
はっきり指摘されて、目が覚める感覚でした。
ここから私の「仕事」に対する捉え方は、ぐっと変わりました。それを上司はちゃんとサポートしてくれましたよ。
色々あったけど、誰かへの不満や時代のせいにして愚痴りながら続けるような仕事人生にならなかったのは、この時の会話が大きなきっかけだったと思います。
生き方や人生に対しての「そしてどう生きたいのか?」
そしてこの会話の約10年後に、今度は人生に対して、そもそもの生き方に対して「あなたはどうしたいのか?」この問いをしてくれたのが。
そう。
カズ姐さん、こと大鶴和江氏です。
カズ姐さんは「リトリーブサイコセラピー」という心理セラピーを開発し、講演会、セミナー、イベント、講座、YouTube、、、、
様々なところで心の問題の「解決方法」「向き合い方」を発信、サポートしています。
6年くらい前かな、、。心理セラピーの講座の中で初めてであったカズ姐さんはこういいました。
「何歳であってもここからの残りの人生を、自分を幸せにすると、生き方を変えると決めればいいんです。
まず決めることが大事だ。」と。
悩みを抱える人。心理セラピーを受ける人。心理講座に興味を持つ人。
みんなしんどい過去を持っています。
そして生てきた歴史は人それぞれ。
みんな生き抜いてきたんです。
毒親問題
機能不全家族
虐待
いじめ
別れ
貧困
差別
家族の病
愛着障害
共依存
ネグレクト
トラウマ
、、、、幼少期のその体験はあなたのせいではありません。
こんな育ち方じゃなければと思うのも無理はないかもしれません。
それも一つの事実です。
でもね。
「ここからじゃあ、私はどう生きるのか?」
これを決められるのは自分しかいないんです。
「今から変えられる。」
これもまた一つの事実なんです。
それは冷たい「自己責任論」ではなくて「希望しかない事実」である。
カズ姐さんも、元上司もね。
自分がどうしたいかやで!!!って言ってるんですよね。
それが冷たい自己責任論に聞こえるかもしれません。
でも、違うんですよ。
自分の人生の責任を自分で持つ。
これ、人生の自由を手に入れるって事です。
変わりたい人は変われる。
自分の人生は自分で選んで作っていける。
だからあなたはどうしたいの?
これは私は冷たい自己責任論ではなく、力のある希望の言葉だと思います。
「じゃあ、どうしたいのか。どうするのか。それを決めるのは自分しかいない。決められる」という大切な事実から目を背けないで欲しい。
愛のある説教というか、、真剣だからこそ伝える、その言葉を、事実を無視してはダメなんです。
冷たく、勝手にしろや自分の事やろ!!という意味の自己責任論を言う人は無視していいんです!!
冷たい自己責任論者と、自分の不幸や可哀想さを武器に闘うのは時間の無駄なばかりでなく自分が消耗していくだけです。
それより「ここから自分がどうしたいのか」自分に問う時間に使いませんか?
自分を癒して、心を、人生を育てていく時間に使いませんか?
それが、必ず、自分の人生を変えていく礎になります。
おしまい。
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