こんにちは。
大阪のリトリーブサイコセラピー、公認心理セラピスト・福満多岐子です。
心理セラピーに出会った頃、、、6年位前かな。まだ心理セラピストになる前にふと疑問だったことがあるんですね。
それは「嫌いな人がセラピー受けに来たら、セラピストは心込めてセッションできるのかな」っと。セラピストに嫌われてたら本気出してもらえないのかなと。
クライアント側としては心底嫌い!な人に、心理セラピーを依頼しないと思うものの、逆ってどうなんだろう、という素朴な疑問。嫌いな人にも心込められるなんて嘘じゃね?奇麗ごとじゃね?と。
この答は、セラピストとしてセラピーを始めてからすぐに答えが出ました。
できますよ。
それはつまり、
大好きな人と、同じくらい心を込めて、という意味で。
好き嫌いと心理セラピーが関係ないのはどうして?
ここからは私の場合なんですけどね。
仲悪い人や気の合わない人の、
お茶を飲みながらの悩み相談は聞いてあげられないけど。邪魔くさいもんね。私天使じゃないしね。。
*
心理セラピー(リトリーブサイコセラピー)を提供し始めて体感したのは
「私がクライアント様に見せてもらってるものは【生きる】って事なんやな。」
「私が扱ってるの命なんだな。」という事。
そしたらもう、あの人気が合わないな、とか、嫌いとか、そんな事もう、どうでもいい。関係ない。
なぜなら、、、。あ、今日はその「なぜなら」がポイントです。
「生きるのが苦しい」「私なんて」と感じる理由
生きるのが苦しい、、
人と居るのが苦しい、、いつも疎外感でいっぱい、、孤独が耐えられない、、
と、悩んでいる人の多くが心の奥底に、
「何もない私」には居場所がない
「こんな私」は愛されるわけない
「何もできない私」は生きていてはいけない
というような「強い自己否定」を持っています。
強くて根本的な自己否定です。
そして多くの場合は、普段はその事に気付いてはいません。または、気付かないように無意識に条件を付けています。
こんな私は頑張らないと許されない。
こんな私だから我慢しないと生きていけない。
私なんて幸せにならずこれくらいがちょうどいい。
…..そんな風に。
だからますます生きているのが苦痛になるんです。
「生きる権利と生きる意味」が私にはないと感じていませんか。
以前、
障害のある方たちを「生きる意味がない」と、
言い放ち、命を奪うひどい事件がありましたが。
今回言いたいのは、
そもそも、生きる事に、まず意味なんてなくていいんです、理由なんてなくていいんです。
という話です。
言葉遊びではなく、、、
どんなに駄目でも、
働かなくても、
性格悪くても、
ブサイクでも、
やる気がなくても、
生きていていいし、
愛されても良いんです。
体が弱くても、
体が強くても、
頭が悪くても、
頭が良くても、
病気でも、
病気でなくても、
です。
そして、
病気。重度の障害。大きな怪我。
そして、、、いま、助からなかった命だとしても、
それって、生きる意味ないから助からなかった生きる理由がないから助からなかったわけではない。
ただ、
現在の医療や、
その時の環境や、
タイミングなどで、いまは
助からなかった、
助ける事が出来ない、
という事だけです。
価値や意味とは関係ありません。
よく、「価値あるから生かされた、、、神様のご意志だよ、、」みたいなのがありますが、そうやって感謝するのは良いんですけど、それによって「死んだ人が価値がない」とか、逆に「いい人ほど早く逝く。神様が呼んだかしら」みたいなのも、それによって生まれる罪悪感や優越感の方の弊害も感じますね。
同じように、
私の命も、
あなたの命も、
いつ無くなるかわからないんです。
どんなに意味なんてなくても、
生きていていいんです。
理由なんていらないんです。
ただ、ただ、
あなたは生まれてきて、
生きていていいんだって事。
そして自分の人生を生きていいんだという事。普通に当たり前じゃないでしょうかね。
「歌う事が生き甲斐だ」という表現はありますが、「歌わないと生きる価値ない」
という事実はありません。
「愛するあなたがいるから生きる」という気持ちでいたとしても「その人に振られた」からといっても、それと生きる意味は関係ありません。
それでも自分に「条件」をつけ続けますか?
あなたはあなたで生まれたから、あなたで生きる。
なんだかそれだけの、すごくシンプルな事が、
〇〇じゃないと生きてる価値ない、〇〇じゃないと生きていけない、〇〇じゃないとひとりぼっちになっちゃう、
、、、、と、どこかで強く握りしめた事によって、ややこしく、ややこしく、そして生きる事が、どんどん苦しくなります。
握りしめる原因の多くは何にもない、そのままの自分でここにいていい。何ができてもできなくても生まれてきて、幸せで良いんだよ。そのままで受け入れられている。
、、、と、いう、全肯定の安心感を受け取り損ねたまま、大人になってしまった事です。
全肯定で受け入れてもらえないと、子どもは不安です。だって、生きていけないもん。
だから、本来関係ないものと、心の奥で結びつける。
〇〇なら、生きていい〇〇なら、幸せになっていい〇〇なら、愛されていい
、、、、と、理由をつけて、、
そうする事で、条件付きながらもなんとか、生きていて良い。としてきたわけです。
そこをきちんと見ていく事。そこを紐解いていく事。
そう思い込んだ背景を、目を逸らさずに受け入れていく事で、
本来の自分の人生を取り戻せます。そう、「自分で生きる」「自分を生きる」です。
でも、その痛みを直視して解きほぐすのは、それは1人だと難しい。
なので、そこにセラピストは関わらせて貰っています。
生きるのに意味や理由はいりません。あなたがそこにいる事に説明はいりません。
安心して生きていていいんです。
その大前提を、その土台を、まずはしっかり感覚として取り戻していくんです。
*
それを感じた時に、ね。
「好き嫌い」とかのレベルって、ね。笑。まったく関係ないですよね。当たり前の命の尊厳のお話しなんだから。あなたが幸せになって良い、自分の人生を生きていていい。当たり前です。
「嫌いな人に心理セラピーはできますか?」「できますよ」はそういう意味です。
それではまたね。
おしまい
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