不幸ってどんなイメージですか?
失敗は?可哀相はどんなイメージでしょうか。
うん。絶対いや。 ですよね。人って幸せに生きていきたいものだと思います。
ではもしも、
- 不幸
- 可哀相
- 被害者
という状態を自分で選んでいるとしたら? それはいったいどういう事だと思いますか?
「可哀相な自分」を捨てないメリット3つ
たとえば、、こんな例があります。
不妊治療中の悩みを赤裸々に書くことで人気ブロガーになったAさん。しんどい気持ちなども吐露することで、励ましあう仲間ができました。
仲間の誰かのおめでた!!報告におめでとうと思いつつも感じる複雑な苦しさなども、赤裸々に書いていたんですね。そのうちどんどん、幸せなママたちと比べて自分たちがどれだけ辛いかを書いて慰めあうブログになっていきました。
彼女、、、実は最近妊娠がわかりました。でもどうしてもブログに書くことができません。だって、そのブログの中には、幸せな自分の居場所なんてないからです。。。
これは
・「可哀相な自分」がいつのまにかコミュニケーションツールになってしまった状態です。ブログ、という限られた空間でならまだそこを失うだけで済むかもしれませんが、この「可哀相な自分」コミュニュケーションが人生の癖になってしまった場合、「居場所」「人との繋がり」そのものを失う感覚になってしまうこともあるのです。
嘘みたいでしょうか?
では、次の例に行きますね。
前出のAさん。それでもブログにおめでた報告→ママになった報告をしていったんですね。おめでとう!!と言ってくれた人もいますが、案の定ひどいコメントも書き込まれてしまいました。
- お前もか!
- 妊娠の喜びをブログに書くなんて人の気持ちを考えろ!
- 私は傷ついた!どうしてくれるんだ!
などなど。。
そう。これは書き込んだ人にとって・「可哀相な自分」がいつのまにか武器になっている状態です。私は可哀相だ!!という事でそれを武器の様に使い、Aさんを攻撃している状態です。
では最後の例にいきますね。
私は毒親に育てられた!!と、いうBさん。
生き辛さにぶつかるたびに、
「あ。私は毒親育ちだから仕方ない。」と感じて、その先を考えることをやめてしまいます。最近では何かうまくいかないことがあると、
「私を責めないで、、全部親が悪いんだ」とそこに原因を定めてしまい解決しようとすらしなくなってしまいました。
これは・「私は可哀相」を防具にして現実から逃げている状態です。
さらに、
最近では、子育てに悩むお母さんのツイッターに 「なんてひどい親だ!!」と絡んだり
育児と仕事の両立を悩むママブログを読んで、自分のさみしかった幼少期と重ね、「子供おいて何が仕事だ!!」と責めたりまでしてしまいます。
はい。これは攻撃、ですよね?
これはつまり、
■自分は可哀相で被害者で特別なんだー
と声を大にすることで、人をコントロールしようとしている状態です。しかも自分のつらい気持ちや、本当はどう解決したいか、何が苦しいのか?そんなことも無視して、ただその苦しみやいら立ちを、外側の誰かにぶつけている状態です。
これはとても危険な状態です。
あなたはどうなりたい?
なぜなら、一向に解決に向かわず、自分の気持ちを無視して発散しているだけ、、、、という理由だけではなく、
自分自身に、何度も何度もこう言い聞かせている状態だからです。
■自分は可哀相だ。被害者だ。周りの人は自分を傷つける存在だ。可哀相でない人間は叩かれたり責められたり、一人ぼっちになったりしてしまう。今自分がしているように。。。可哀相でなくなってしまったら今度は自分が叩かれる。可哀相でいれば現状の安定、安心は守られる。。。
あなたは確かに可哀相な出来事があったのは事実かもしれません。 被害者だったことも事実としてあるのかもしれません。
でもね。
『被害者としての人生を生きる』必要はないのです。
もしかしたらその選択をしているのはあなたかもしれません。
あなたは、これからの人生をどう生きたいですか?
可哀相と幸せは両立しない
最初に「可哀相な状態」「被害者な状態」になってしまったのは あなたのせいではない悲しい出来事かもしれません。
でも、この状態でいることで、
どこか、「安心感」や「便利さ」を感じているとしたら、、。
あなたは、このままでは「幸せになる」ことはできないんです。。
だって、、
- 幸せ
- 可哀相
この2つって両立できると思いますか??
、、、できないですよね。
「可哀相」な自分をやめる
もし、
- 不幸
- 可哀相
- 被害者
でいることに「安心感」「便利さ」を感じているな、、と思い当たったら。
この立場を握りしめてるな、と気付いたら。
まず最初にすることは、
「可哀相な自分をやめて幸せになる」と決めることが大切です。
もしそこに恐怖があるなら
「可哀相な自分をやめて幸せになろう」と決めようとすると、、
- そんなこと許されないような気がする
- 責められる気がする
- 幸せなんてそもそも想像できない
そんな気持ちに襲われる場合があります。
そんな場合は、
可哀相な自分や、被害者でる自分、不幸な自分
そんな自分でいること自体がアイデンティティーそのものになっていたり、そんな自分でいないと生きていけない程の大きな恐怖が隠れている場合が多いです。
そんな時には焦らずにその恐怖を取り扱っていくのが近道ですよ。
あなたの「選びたい人生」をぜひ選んでくださいね。