こんにちは。大阪の心理セラピスト福満です。
さてさて今日も昨日も、私は「たこ焼き」を焼いていました。こだわりのかけらもなく市販のたこ焼き粉を購入し(吟味はしましたよ!!)、適当に冷蔵庫にあったネギと紅しょうがを入れて。具材はもとろん「タコ」まあ、後は適当に、、黒コショウ豚ソーセージとかですね、、って、誰も求めていないたこ焼きストーリーをつらつら書いてしまった。笑。でもまだまだ、たこ焼きの話です。
正しいたこ焼きはどっちだ!
さて、たこ焼きと言えば「ソース」ですが、我が家では「出汁」で食べるものだったんですね。え??それは「明石焼きだろう!!」って?いえいえ。。あのいわゆる「玉子焼き」のフワフワな明石焼きではなく、、「たこ焼き」を「出汁」に浸して食べるのが父方の家の食べ方だったんですよね。。。ちょっと珍しいのかもしれない。母は大阪の出身ではなかったので、「たこ焼き」を作るのは父だったんですよね。
で、うちはいわゆる機能不全家族でお父さん大嫌い!でしたが、そこで育っているので「家のルールが普通」って思っていたわけです。しかもたこ焼きは好きだったわけです。。。
で、、あれは小学校高学年でしょうか。。
初めて友達と家ではないところで「たこ焼き」を食べたんですよね。そしたら、出汁がないわけですよ!!!!しかもメッチャ濃いソースとマヨネーズがかかっててですね。「何なのこれは。」ってなったんですね。「うちのと違う。。」というような事を言ったと思います。そしたらまさかの猛反撃にあったんですよ。「えーーー?お前んとこのそれ明石焼きちゃうん!!」「ソース掛けるやろ普通!!!」「おまえんちおかしいで!!」と男子たちに言われ、、。
「え!!でも!!そんなことないもん!私があってるもん。そっちが間違ってるもん!」と思ったのを覚えています。多分、言い返したと思いますね。
この時私は「正しいたこ焼き」を「主張」したわけですが、「たこ焼きとは」を真剣に考えて、「正しいたこ焼き」を世に知らしめたかったわけではないんですよ。そんなに「たこ焼き」に思いを込めてないんですよ、そもそも。
自分が「こうだ」と信じ切っていたものが「違う」って言われた時の感覚。どきってするんですよね。あれ。しかもまわりがみんな「違う」っていう。恐怖ですよ。
自分自身の中に「安心」がない人ほど、私がおかしいの?って不安になるんです。私が正しい。これで良い。そう思いたいから、
「こっちがあってる!!!」ってムキになるし拳を振り上げる。この場合、自分のたこ焼きを認めさすことで欲しいのは、
- 私はおかしくない
- 間違ってない、大丈夫
- 仲間外れじゃない、疎外されない
そんな安心感です。「たこ焼きとは!!」は本題ではないんですよね。実は。
「それじゃない」違うものが認められない
たこ焼きごときで、何を、、、。と思いましたか?実はその通り。たこ焼きごときなんですよ。たこ焼きごときだし子供だったから、なんかちょっと言い合いして、それで終わったんです。子供の小競り合いでね。
でも、この時に私がものすごく強い権利を持っていたり、口論が上手だったりしてですね、「たこ焼きとは、出汁で食べるのが正解です!!!!!」と認めさせることができたとしましょう。私はその時は満足だと思います。「ほらね!!言ったでしょう!」と。
でも、本当の問題は、本当に欲しいものはそれじゃないんですもん。本当は自分はおかしいかも、間違ってるかも、疎外されるかも、、その不安を持っていて、それが怖い。安心したいんですよね。「たこ焼きとは、出汁で食べるのが正解です!」と認めさせたところで、そもそもの不安自体は解決していません。
「たこ焼きの正解を認めさせる人生」とは、永遠に自分と違うものを見ては「それは違う!!」「私が正しい」とこぶしを振り上げなくてはいけない人生です。 些細な事がや本当は自分にとってどうでもいい事でも、いちいち「これが正しいのに」を主張したくなるんです。
これはそもそも持っている「自分の中の不安」が刺激されるからです。
もしも、自分自身の中に「安心感」があれば。「人と違っても大丈夫」という根本的な安心感があれば、そんな風に拳を振り上げる必要はありません。「たこ焼きってソースが多いんだね~」って違いを認める事が出来るんです。別にそこ、どっちでもいいっていう気楽な感覚が増えると思います。
「旦那が悪い」「上司が悪い」「会社が悪い」「政治が悪い」
そもそも持っている「自分の不安」を「自分が正しい!!」を主張することで感じなくしたい。自分が正しいと感じて、安心したい。その感覚のまま人生を突き進んでしまうと、どんどん「正義中毒」「正しい事中毒」な状態になっていきます。
- そもそも旦那が会社の部下とlineしてたのが悪い!!
- 上司の仕切り方が悪いから会議なんてやってられない。上司のが悪いんだ!
- 会社が悪いよね!!今時このシステム!!こうすべきだ!!
- 政治が悪いんだ======。税制もあれもこれも!!
そうやって、不安や不満を全部、でも、私は悪くない!!相手が悪いんだ!!と拳を振り上げることで誤魔化してしまうんです。旦那さんや、上司、会社、政治。不満を言うのが悪いという話ではありません。でも、こうやって「そっちが悪い」で、相手を叩いてすっきりする感覚って「依存性」「中毒性」があるんです。そもそも人間の脳は「正義の制裁」を加えるとドーパミンが放出される。要は「気持ちよい」んですね。 それに同じような「あいつ悪いよね」の主張の人との連帯感も生まれまる。
「不安」「孤独」を隠し持つ人にはまさに「蜜の味」なわけです。
でも、自分の不安に向き合わず、「そっちが悪い」「私悪くない」で誤魔化し続けていると、この「依存性」「中毒性」が癖になり、ずっとずっと、相手を責めて文句を言う人生です。 そもそも完璧な相手っていないんです。だから いくらでも相手の「間違っているところ」を指摘しようと思ったら出来てしまう。 終わりがないんです。。。
ずっと、拳を振り上げて相手の間違いを指摘して、、、
失くしてから、壊してから、では遅いんです
これ、恐いのはですね。本当に欲しいものは「安心」なんです。
- 私はおかしくない
- 間違ってない、大丈夫
- 仲間外れじゃない、疎外されない
そんな安心感ですよね。
でも、それに気づかず「正義の制裁」で相手を叩くことを繰り返した時、
- 相手との関係は悪くなり
- 人は離れ
- チームの空気は殺伐とし
- 組織は壊れ
、、そう、なりますよね。そして「あいつ悪いよね!!」の仲間との間は「安心感」ではないですよね。
この「正義中毒」「正しい事中毒」の怖さはここだと思います。一番欲しいものを、大切な人や場所を、傷つけながら、自ら失っていく行為だっていう事です。
「私が正しい」「そっちが間違ってる」「私は悪くない」
そんな感覚って、ドーパミンはでますが、どこか苦しくしんどさも感じていると思います。今は特に国全体が不安な状態なのでね、ネット上なんかでも多く見かける気がします。芸能人の不倫叩きとかもそうですね。(正義マンっていうらしい)
自分自身でこのしんどさに心当たりがある場合は、この不安の問題に取り組むことを、お勧めします。「正義の戦い」を続けて、苦しんだり失ったりする前に、自分の大切な気持ちに寄り添って欲しいなと思います。
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今日はこれでおしまいです。読んでいただいてありがとうございました。
ではでは~~~~
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