こんにちは。リトリーブサイコセラピーの福満です。
大阪、寒いんです。暖かくして過ごそうと思います!!みなさんもこれからの寒さ本番気を付けていきましょうね!(←寒いのが嫌すぎて気合を入れている朝
さてさて今日のテーマ。
大人になってからの転職はしんどいよ、と言う話を聞きませんか?。確かに大人になってから別業種への採用は難しい部分もありますよね。
- 性格だから
- 年齢で頭が固くなってしまった
- 新しい人間関係は緊張を伴うのは当たり前だ
- 年下の先輩や後輩ってきをつかうんだよね
だから仕方ないんだ、と考えていては結局「転職せずに慣れた今のところで我慢するか、、」とあきらめることになりがちです。どんどん自分の行動範囲が狭くなっていってしまうし、せっかくのチャンスも逃していってしまいます。
じつはこの「居心地の悪さ」、根本の原因は「愛着の問題」かもしれません。
「ちょっといいですか?教えてください」と話しかける苦痛
新しい環境に行くと、実力のあるなしなんて関係なく、わからない事ってたくさんあります。その会社でだけ通じる言葉とか、どのタイミングでどうするとか、はたまた単純に、ロッカーの開け方とかさ。
聞かなきゃいけないことがたくさんありますよね。
「新卒の新入社員」ってある意味「子供」なんですよね。研修があったり、オリエンテーションがあったり。教育係の先輩がついてくれたりもありますよね。「知らないもの」「ゼロからスタート」といして、扱ってくれます。
でも、転職、途中入社って、、、
「大人」なんですよね。いえ、年齢が、というより扱いが。
べったり誰かが「教育係です」「何でも言ってね相談乗るよ」みたいなことはなくて、仕事はすでに動いているところへ、ある程度即戦力として入るわけです。
わからない事は、「これ教えてください」と声を上げなくてはいけません。
私は「ここ」だと思うんですよね。「なんでかわからないけど、転職後の職場がしんどい」の根源って。
- 良い人ばっかりなのになあ
- わからない事は何でも聞いてくださいねって言ってくれるんだけど
- 忙しそうだから聞きにくいのよね
そしてだんだん
「教える体制が、迎え入れる体制がなってないんじゃないかしら。」「人を教育する体制がなってないんじゃないかしら」「聞きにくいに決まってるじゃないの!!!」なんて、だんだん会社そのものを批判したくなってきたりして。
もちろん、カリキュラムの行き届いた会社の「新入社員」のように至れり尽くせりできたらいいんですけど、でも、そこは大人の転職組。そんな必要もないわけです。一人でできることも沢山あるし、そもそも聞けばいいんです。必要な時に一声かけて聞けばいいんです。
聞きにくい?聞きにくい?聞きにくいよね。
、、、どうしてですか?聞いてどんな反応がきそうで何を感じそうで嫌ですか?
- え、そんなこともできないの、、、と思われるのが嫌。
- 今忙しいのに、、と思われるのが嫌。
- できない人だと評価が落ちそうで嫌。
- 後でいいですか?と言われるだけで嫌!!!!!!聞かなきゃ良かったって思う!嫌われてる感じがする。うざいと思われそう。
そんな感覚はないでしょうか。
もし、そんな余計な心配せずに
・構えることなく・自然に・必要な事を・必要な事を
もしも聞けたら、あなたの居心地の悪さは、おそらくググっと減るのではないでしょうか。
だとすればやっぱり「ここ」ですね。
ちゃんとできないと迷惑を掛けて嫌われる
忙しくても快く「どこがわかりませんか?」と聞いてくれたら良いけど、相手も人間です。「あ!ちょっと後で!」と言われたら、「あ、忙しいんだなあ」というだけの事。勿論ずっとその状況は確かに困りますけど、すぐに「私嫌われているのかな、迷惑かけているよね。うざいよと思われているかな。」という発想になってしまうとしたら
「ちゃんとできない私なんて居場所がない」「迷惑をかけると、がっかりされて見捨てられる」
そんな感覚がそもそもあなたにあるのかもしれません。
ベースにその感覚があると事あるごとに、必要以上に傷ついてしまうんです。相手が年下だったりすると余計にその感覚は刺激されるかもしれませんね。そして、さらにどんどん質問できなくなってしまうし、人と関わること、職場が苦痛に感じていきます。
「一人でできる」という孤独が愛される条件?
「ちゃんとできない私なんて居場所がない」「迷惑をかけるとがっかりされて見捨てられる」 それは裏を返せば
「ちゃんとできたら私はそこにいる事ができる」「迷惑かけずに一人でできたら見捨てられない」という事。これってすごく「孤独な感覚」です。
例えば幼少期にこんな環境はありませんでしたか?
- 親からの過度な期待にこたえ続けてきた
- 長男長女で、しっかりしているといわれていた
- 両親のけんかの仲裁役をしていた(家族のバランスをとる役割)
- 親が幼児性が強い、または不安定
- 愛情や暖かさを求めても拒絶された(虐待、ネグレクト)
ちゃんと一人でできて迷惑かけないでいればってめちゃくちゃ一人で頑張る感覚じゃないですか。そう。孤独ですよ。でもそうしていれば見捨てられない。
これ、ちょっと矛盾してるんですよ。だって「孤独に一人で頑張るなら孤独にならなくていい」って事。これってどっちにしてもつらいですよね。
*
「お姉ちゃんなんだから一人でできるでしょ」
「そんな事もできないと思ってなかった。」
「え、そんな甘えた事いうの?お姉ちゃんなのに。笑。」
たとえばそんな言葉を思い出す人もいるかもしれません。
そうやって「お姉ちゃん」の役割をはたしていたら家族の中にいられたとしたら。この役割を手放すような、この期待を裏切るような、そんなことはこわくてできなくて「頼らず」「甘えず」「一人頑張る」事が癖になっても不思議ではありませんん。
*
この感覚を持っていると、「声をかける」「教えてっていう」それを何回も繰り返さないといけないって、ものすごく苦痛なんです。感覚としてはずーーーーーと、振り払われる恐怖、見捨てられる恐怖にかられるんですもん。そしてその間ずっと孤独感を感じ続けている状態だから。
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- 新しい職場、なんでこんなにしんどいんだろう
- どうして自分から聞くのがこんなに苦痛なんだろう
- 「後でいい?」と断られただけなのにすごく傷ついて二度と質問したくない
- 一つ質問するにもものすごく空気を読んでしまう
そんな感覚でなやんでいて、今日のテーマに心当たりがあるなあ、という方は、ぜひ
「ちゃんとできない私なんて居場所がない」「迷惑をかけると、がっかりされて見捨てられる」
そんな感覚がどこから来るのかを見ていく事をおすすめします。
これって、「人との関係性」「人との絆」を結ぶ能力、人格の土台である「愛着」について向き合っていくという事。土台をしっかり回復させていくという事です。
そしたら、きっと年齢や、環境、性格のせいにして「仕方ないよね」とあきらめてしまうよりずーーーーと人生が楽に、そして広がっていくんじゃないかな。
それでは今日はこれでおしまいです!!またね~~
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